大津が生み出した素材、歴史、文化、技術などに深く関わりを持つものを中心に「高い品質である」と認められた食品と工芸品を大津商工会議所が「大津百町百福物語」ブランドとして認定しています。
2015(平成27)年に大津商工会議所が始め、現在までに55点が認定を受けています。
びわ湖大津経済新聞では、地元で愛される「大津百町百福物語」認定商品に携わる人にスポットを当て、特集記事を公開していきます。
大きな卵焼きとウナギのかば焼き
第26回は逢坂山かねよ(大津市大谷町)の「きんし丼折詰」です。
「きんし丼」という名前ですが、ご飯の上にのっているのは錦糸卵ではなく大きな卵焼きとウナギのかば焼き。和食たまご本舗(福岡県八女市)の「和食のたまご」で薄焼き卵を作り、ミルフィーユ状に何度も重ね、大きめに切った卵焼きが特徴の「きんし丼」。
昔は錦糸卵をのせたうな丼だったが、店が繁盛して忙しくなり、急(せ)かされた料理人が薄焼き卵を重ねて細切りにせずに大きく切って丼にのせたことが始まりだそうです。大きな卵焼きが評判となり、客の要望でさらに大きくなり、現在の形になりました。
ウナギは国産のニホンウナギのみを仕入れて店の池で食べ頃まで育てます。「トレーサビリティー」という言葉が広く知られるようになる前から、産地証明書のあるウナギだけを仕入れています。逢坂山かねよ社長の村田章太郎さんは「老舗だからとあぐらをかくのではなく、新しい時代に合わせたことを取り入れている」と話します。
さらに、国際的な衛生管理の安全基準である「SGS-HACCP(ハサップ)」承認をウナギのかば焼き工程で取得し、製造工程の衛生管理も時代に合わせてアップデートしています。
大津百町百福物語に認定されたのは持ち帰り用の「きんし丼折詰」ですが、レストランと本店では肝吸い付きのきんし丼ときんし重を味わうことができます。
知るも知らぬも逢坂の関
逢坂山かねよの始まりは江戸時代末期。逢坂山は、蝉丸が「これやこの行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」と詠んだように、東海道を大津から京の都へ向かう途中にある関所でした。伊勢から京へウナギを運ぶ仕事をしていた行商人の米吉が途中に立ち寄っていたのが、逢坂山の麓にあった茶屋「かね文」。米吉は店で「かね文」の娘「つる」と出会い、結婚。ウナギを逢坂山の渓水に入れると身が締まって臭みも抜けることに気づいた米吉は明治5年、「かね文」の「かね」と米吉の「よ」を取り、「かねよ」と名付け、旅人にウナギ料理を提供する店「逢坂山かねよ」を開業しました。
小説家の尾崎紅葉や詩人の野口雨情が「かねよが日本一」と書き残すなど、多くの文人が訪れる店となりました。
現在は国道1号線も開通し、逢坂の関を越えて京都に向かう人は少なくなりましたが、「逢坂山かねよ」は今でも旧東海道沿いに店を構えています。旧東海道を挟んで本店とレストランが向かい合い、本店は日本庭園の中に個室があり、逢坂山の歴史と自然を感じながら「きんし丼」やウナギまむし(うな重)を楽しめます。
逢坂山かねよ
大津市大谷町23-15
本店 077-524-2222
営業時間 11時~20時30分(ラストオーダー20時)
レストラン 火曜定休、本店 木曜定休
ホームページ http://www.kaneyo.in/index.html
オンラインショップ http://www.kaneyo.in/miyage/