特集

わたSHIGA輝く国スポ・障スポVol.6 車いすバスケットボール清水千浪さん

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 2025年、滋賀県で「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ(第79回国民スポーツ大会・第24回全国障害者スポーツ大会)」が開催されます。

 障スポに車いすバスケットボール滋賀県代表チームの一員として出場する清水千浪さんに話を聞きました。

障スポ 車いすバスケットボール競技

 国スポは9月28日~10月8日、障スポは10月25日~27日に県内各地で開催されます。車いすバスケットボールは10月25日・26日、滋賀ダイハツアリーナ(大津市上田上中野町)で開催。

 身体障害のある選手が、車いすを使用して1チーム5人で競技を行う車いすバスケットボール。

ルールは一般のバスケットボールとほぼ同じで、ボールを持って3回以上車輪をこぐとトラベリングになります。選手には障害レベルの重い順から1.0~4.5の持ち点が定められており、コート上の5人の持ち点の合計は14点までという決まりがあります。

 滋賀県代表は今まで障スポ本大会に出場したことはなく、今回が初出場となります。

スポーツ万能で国体出場経験もある清水さん

 滋賀県代表として障スポに出場する清水千浪さんは、2021年東京と2024年パリのパラリンピックに2度出場している日本を代表する選手です。

 滋賀県長浜市で生まれたスポーツ万能の清水さんは、中学生の時には陸上1500メートルで滋賀県大会優勝。大学でサッカーを始め、20歳の時に女子サッカーのトップリーグLリーグ(現在のなでしこリーグ)「アルビレックス新潟レディース」のトライアウトを受け合格。2004(平成16)年に埼玉県で開催された第59回国民体育大会には女子サッカー新潟県代表として出場した経験があります。

 25歳でサッカー選手を引退し、パーソナルトレーナーとして働いていた清水さん。2012(平成24)年12月、褐色細胞腫を発病しました。心停止し生死をさまよい7カ月間入院した清水さんは、寝たきりのベッドの上で、腹式呼吸や動く関節のトレーニングをしていたそうです。清水さんは「取りあえず行動する性格で、できることをしていました。当時の日記に書いてあったのは『リハビリの先生が同じ年で楽しかった』など、楽しかったことばかり」と振り返ります。

車いすバスケットボールとの出合い

 足の指が壊死(えし)し、左足が内反尖足(せんそく)した清水さんは車いすで退院。「退院してすぐに旅に出た」と笑顔で話す清水さん。「走ること」を最終目標に、できるスポーツを探しに全国を旅する中で、京都で練習をしていた女子車いすバスケットボールチームの「カクテル」に出合います。

 「バスケ用の車いすはスピードが出て面白く、操作が難しくてだからこそやってみたい」と思った清水さんは、2015(平成27)年から練習に参加。大阪でトレーナーとして働きながら車いすバスケットボールを始めました。「サッカーの時と同じように、のめり込んで練習したら楽しかった。同じことをするのでも意識しているかどうかで上達の度合いは変わってくる。始めたのが遅い分、集中してうまくならないといけないという危機感を持って練習しています」と話します。

障スポに向けて

 現在はカクテルと滋賀県代表チームの「レイクシガBBC」に所属している清水さん。女子チームのカクテルではセンターポジションでプレーしますが、男女混合の滋賀県代表チームでは、他の選手のプレーを助ける役目も担います。持ち点は3の清水さんですが、女子選手は-1.5点されるので、1.5点の選手として出場します。

 滋賀のチーム練習は週1回のみ。「健康のためにプレーしている人や、日本代表になりたい人など、目的も年齢も、障害も異なるメンバーがいるので課題はたくさんあります。週末の練習試合では負けることも多いですが、戦術が決まって盛り上がるのがチームスポーツのいいところ」と話す清水さん。攻撃のフォーメーションには滋賀県出身の西川貴教さんから名付けた「ニシカワ」と「タカノリ」があり、「試合で『ニシカワ』がうまくいって盛り上がった。『タカノリ』はまだ完成していないので、練習してチーム力を上げていきたい」と意気込みます。

 車いすバスケットボールの見どころについて「経験値も重要で、体が動かなくてもうまい人がいる。高さのある選手にゴール下に入ってもらうために相手ディフェンダーを車いすで止めるスクリーンプレーや、他の選手をゴール下へ連れて行くプレーなども見てもらえれば」と話します。

写真提供=清水千浪さん

 

 

取材・文=山中輝子

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