大津市の特産品「大津百町百福物語」は2015(平成27)年に大津商工会議所が始めた認定制度で、現在までに53点が認定を受けています。
大津が生み出した素材、歴史、文化、技術などに深く関わりを持つものを中心に、「高い品質である」と認められた食品と工芸品を大津商工会議所が「大津百町百福物語」ブランドとして認定しています。
びわ湖大津経済新聞では、地元で愛される「大津百町百福物語」認定商品に携わる人にスポットを当て、特集記事を公開していきます。
怪力の弁慶にあやかった「力餅」
第14回は三井寺力餅本家(大津市浜大津)の「三井寺力餅」です。
その日の朝に練って作った餅を、注文を受けてから丸めて串に刺し、蜜を塗って若草色のきな粉をたっぷりとまぶした「三井寺力餅」。きな粉は大豆と青大豆のきな粉に抹茶をブレンドしています。
大津土産として長く愛されている三井寺力餅の由来は武蔵坊弁慶の伝説。
比叡山延暦寺と三井寺が争いを繰り返していた頃、弁慶を先陣とした比叡山の僧兵は三井寺に攻め入りました。三井寺を焼き払い、弁慶は戦利品として美しい音で知られる三井寺の鐘を比叡山まで引きずり上げました。延暦寺で鐘を突いたところ「イノー、イノー(帰りたい)」と鳴いたので、弁慶が怒って谷間に投げ捨てたという伝説があり、後に三井寺に戻った鐘には、弁慶が引きずったとされる傷痕が残っています。
弁慶の伝説から数百年後、三井寺と弁慶の怪力にあやかって力餅を作り、商いをする人が現れました。これが三井寺力餅の始まりです。
三井寺力餅本家は、1869(明治2)年から浜大津で力餅を作り始めました。
早朝からその日の分だけ作る
5代目の滋野啓介さんは毎朝早くから餅の生地を仕込みます。創業当時の製法と味を守るため、防腐剤などを入れない力餅の賞味期限は製造の翌日。毎朝、その日に販売する分だけを作ります。
滋野さんは「開店は7時ですが、出張に行く当日の朝に土産として買いに来る人や、朝食として食べに来る人がいるので6時過ぎにはシャッターを開けます。生地を作るのは私だけなので、365日休みなし」と話します。
一度はサラリーマンになった滋野さんが家業を継いだのは30歳の時。「小さいときから母が一人で餅を作り、4人兄弟を育てて、ご飯も作ってくれた。餅を練るのは力がいる作業なので、母を助けたいと思って戻ってきました」と振り返ります。
滋野さんは「継いだ直後は、歴史の重みも分からず、ただ作っているだけでしたが、結婚して子どもができたことが大きな転機になりました。このままではいけないと本腰を入れ始めました」と話します。
健康にも気を遣い、けがにも気を付けて、毎朝一人で餅を練る滋野さん。一度に多くは作れず、納品先から追加注文があれば日に何度も餅を練ることもあるそうです。
力餅ソフトクリーム
2019年7月に開催された「びわ湖大津マザレ祭り」がきっかけで生まれた「力餅ソフトクリーム」。バニラ、抹茶などのソフトクリームに力餅を1本のせて提供しています。
滋野さんは「ほとんど宣伝もしていないのに、お客さんがインスタグラムに投稿してくれて、それを見た人が来店するようになりました」と驚きます。
朝から夕方まで店には多くの来客があります。滋野さんは「浜大津駅前はあまり人が歩いていないのに、店内は込んでいることも。この店を目的に来てくれていることに感謝しています。今後は、大津のまちを盛り上げていくためにも尽力したいです」と話します。
力餅ソフトクリームを目当てに来店する若者、会議中に食べるというビジネスマン、出張や旅行の土産に買う人、昔からの常連客など、たくさんの人の笑顔のために、滋野さんは今日も早朝から餅を仕込みます。
三井寺力餅は、琵琶湖ホテル、びわ湖プリンスホテル、三井寺レストラン風月、大津サービスエリア、草津パーキングエリア、大津駅前観光案内所、などで販売しています。
湖の駅浜大津や平和堂石山店、ここしが(東京都)では週に1回程度、納品した時のみ店頭に並びます。
三井寺力餅本家
滋賀県大津市浜大津2丁目1-30
077-524-2689
0120-931-014
営業時間 7時~19時
年中無休
取材・文=山中輝子