戦争体験者が年々少なくなってきている中、戦時のことを学び平和への願いを語りつぐことの大切さを感じてほしいと県平和祈念館(東近江市中野町)では11日から17日まで平和を祈念する日事業「戦争のことおしえて」を開催。終戦記念日の15日は開館時間を20時まで延長し「戦争体験を聞く会」や「公開平和学習授業」など様々なイベントが開催された。
国民学校1年生の時に描いた「ヘイタイゴッコ」を見ながら語る武田倫江さん
「戦争体験を聞く会」では東近江市在住の脇坂利一さんが「潜水艦乗員から水上特攻隊員へ」、長浜市在住の武田倫江さんが「戦争の絵を描くと二重マルでした」と題し戦時体験を語った。100名を超える来館者が耳を傾けた。
脇坂さんは1925年(大正14年)生まれの88歳。1943年(昭和18年)志願して舞鶴海兵団に入団。潜水艦搭乗員を経て1945年(昭和20年)3月搭乗していた水雷艇「真鶴」が沖縄沖で米軍の攻撃を受け沈没。乗員約180名のうち生き残れたのは11人だった。同年6月上海舟山島の部隊に配属となり、8月1日小型木製モーターボートに炸薬を搭載した特攻兵器「震洋(しんよう)」の水上特攻隊員となり沖縄に迫る米軍に攻撃を仕掛けるため訓練を受ける。13日、15日、17日に設定された出撃日に3名の特攻兵が選ばれた。くじ引きで特攻日を決め脇坂さんは「17日」を引く。13日、15日に出撃した仲間2人は帰ってこなかった。
「海軍では通常5月、11月に進級がある。1945年5月に二等兵曹に進級し、8月1日に一等兵曹に進級した。8月の進級は時期的にはありえません。それは水上特攻隊への入隊に対するものだったんでしょう。昇進祝いに岩ツバメのスープをいただきました。志願した時から命はお国に捧げたものとして死ぬのは怖くなかった。13日、15日のくじを引いた隊員に順番を変わってくれとお願いしたが受け入れてもらえず、結局出撃しないまま終戦を迎えました。神様の計らいかな」と当時を振り返る。毎年終戦記念日には近所の神社で戦場に散っていった戦友の冥福を祈るという。「平和、平和とよく聞くが理想を追い過ぎているように感じる。世界ではいたるところで今も戦いが起こっている。神仏を大事にする日本人としての心を持つことが大切では」と語る。
武田さんは1936年(昭和11年)生まれの78歳。国民学校時代に描いた絵を元に当時の子供が感じていた思いを語った。「ヘイタイゴッコ」という作品は1年生の時に描かれた絵。紙兜を被り日の丸と剣を持つ男の子が描かれている。「男の子は兵隊さん、女の子は看護婦さんという時代。描いた時のことはあまり覚えていないけど、紙兜にも日の丸が書かれていますね。日の丸を大切にしていた時代だったんですね」と語る。その他、学校の風景や運動会、飛行機、戦車などの絵など10枚以上の絵が披露された。終戦の瞬間、ラジオを聞いていた父が「戦争に負けた。犠牲になった兵隊ほどかわいそうなものはない」と泣いていた姿が忘れられないと涙ぐむ。
正午には来館者全員で戦没者に黙祷を捧げた。館長の端信行さんは「戦争に行かれた方、軍属、空襲にあわれた方、色々な方の過去の経験をお聞きすると『ああ、ありがたいな』と感謝の気持ちが一番最初に出てくる。他人に対して、過去の人々に対して感謝する気持ち。それが平和ということに対して一番大事なことではないかと感じる。今、国際社会はとても平和であるとはいえない状況。あちこちで戦争している。単に『平和は大事だ』というだけでは子どもたちには意味が通じないだろう。そのためにも他に感謝するということをきっちり受け継いでいかないといけない。もうひとつ大事なのは外交力。他の国々と民族と、対等に付き合い話をしていく必要がある。その際も感謝の気持ちを持つことが大切ではないか」とメッセージを述べた。
この日、同館ではコンサートや紙芝居、プラネタリウム番組上映など一日を通して戦争を学ぶプログラムが行われた。守山市から親子5人で来館した米谷薫さんは「8歳の息子が映画ゴジラを見て自衛隊に憧れている。実際の戦争のことも知って欲しくて来た。戦争体験者の話を直接聞ける機会は貴重でした。子どもたちのお目当てはプラネタリウムですが」と一日を同館で過ごした。
プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ」は16日、17日にも10時~11時、14時~15時の1日2回上映される。各回定員30名。無料。詳しくはホームページで確認できる。