絵画展「三橋節子三つの世界」が現在、三橋節子美術館(大津市小関町)で開催されている。
同館が所蔵する71点の中から35点を「野草」「インド人物画」「近江昔話」の3つのテーマに分けて展示する。
三橋さんは1939(昭和14)年生まれの日本画家。1968(昭和43)年に日本画家の鈴木靖将さんと結婚し、大津市長等で暮らし、1男1女をもうけるが、1973(昭和48)年、34歳の時に右肩鎖骨腫瘍のため利き手の右腕の切断手術を受ける。
当時のことを鈴木さんは「節子は『もう絵が描けない』『どうせ死ぬ』と布団に潜り込んで絶望していた」と振り返る。鈴木さんは三橋さんと病院の庭を散歩して、「病気のことは医者に任せよう。命については神に委ねよう。残るのは何か、お前は絵描きだ。俺たちは絵のことだけを考えよう。死に直面し『死』というモチーフを手にしている絵描きはほかにいない」と励ました。
鈴木さんが大津市内を探し回り、滋賀県に伝わる昔話の本を手に入れ、三橋さんの枕元で読み聞かせた。鈴木さんは「死についてさりげなく書かれている近江昔話がテーマとしてふさわしいと思った」と振り返る。
三橋さんは手術から3カ月後に退院すると、鈴木さんが花瓶に差した菩提(ぼだい)樹の枝を見て、左手で3日ほどで絵を描き上げた。退院から2カ月後には100号サイズの絵「三井の晩鐘」を完成させた。鈴木さんは「退院後に描いた絵は、絵が深くなっている」と評価する。
「三井の晩鐘」は竜神の娘が子どもと別れて琵琶湖に帰る物語。鈴木さんは「節子は死と対峙(たいじ)して子どもと別れる悲しみや、母として子を守らないといけないという思い、死との葛藤を昔話に重ねて自分自身を描いた」と話す。
1974(昭和49)年に描いた「花折峠」は川に突き落とされた娘が助かる話だが、鈴木さんは「川に流されているのは節子自身で、死を受け入れているように見える。ナデシコやオミナイシを白く描いているのも死を表現していると感じる。ほかの絵に描かれた女性も静かに微笑している。節子の死後にデスマスクを描いて気が付いたのだが、絵の中の女性と同じ顔をしていた。生きながら自分の死に顔を描いたのだと思う」と話す。
「節子は不思議な人で、絵を描いていた時には肺に転移していて息苦しかったはずだが、『苦しい』とは言わず、5歳と3歳の子どもたちと風船でサッカーをしながら楽しそうに絵を描いていた」と振り返る。
「自分の思いを絵本で子どもたちに残したい」と考えた三橋さんは東近江市八日市と高島市安曇川に伝わる「雷獣」の伝説を基に「雷の落ちない村」という絵本の制作に取りかかる。鈴木さんとあらすじを考え、「生きるのは大変だが、勇気を持って、美しいものには感動する心を持って」などの思いを込めたという。1975(昭和50)年、絵本が完成する前に三橋さんが35歳で亡くなると、足りない部分を鈴木さんが描き足して完成させた。鈴木さんはその後も絵本を出版している。鈴木さんは「あの時に節子が話したことを遺言のように実践している」と話す。
企画展では三橋さんが右手で描いた野草、美術研修で訪れたインド・東南アジアに強いインスピレーションを受けたインド人物画と、「菩提樹」「三井の晩鐘」「鷺(サギ)の恩返し」「「花折峠」など左手で描いた絵画を展示している。
展示に訪れた大津市の辰已美行さんは「精いっぱい生きて左手で描いた努力と、描きたいという気持ちに感動した」と話した。
開館時間は9時~17時。月曜・祝翌日休館。入館料は大人=330円、高校生・大学=240円、小学生・中学=160円、市内在住65歳以上=160円。2023年6月18日まで。