守山市立図書館(守山市守山5)で11月16日、守山市金森町出身で初代飛騨高山藩主となった金森長近を描いた「金龍権現金森長近」の著者・桐谷忠夫さんによる講演が行われた。
現在、飛騨民俗学会会長、飛騨学の会総括責任者を務める桐谷さん。講演は、高山市出身で守山市在住の「守山市と高山市の交流を推進する会」の青谷正史さんの働きかけで実現した。
金森長近は1524年、美濃国で生まれる。6・7歳ごろから織田信長の小姓を務めるようになる18歳までの約10年間を守山市金森町で過ごし、金森姓はこの地名から名乗るようになった。「人格・人柄の基礎はこの地で築かれた」と桐谷さん。同町は蓮如ゆかりの浄土真宗の門前町として近江商人を中心に繁盛していた。30歳前後、桶狭間の戦いの功績により信長の「長」を取って「長近」の名前をもらう。天下統一を目指した織田信長は、当時武士よりも強い勢力を持っていた僧侶への弾圧を挙行。比叡山焼き打ちが行われた1571年には、一向宗の寺内町が発達していた金森御坊を中心に金森の地の焼き打ちも行われている。「故郷を焼き打ちされた長近の思いを知るために、金森御坊にも定期的に足を運んでいる」という。
長男・長則は織田信長の長男・信忠の小姓として実質人質に出したが、本能寺の変で信長と共に戦死。豊臣秀吉時代には軍部大臣にあたる「兵部尚書」の重責を担う。徳川家康に仕えた1600年、関ヶ原の戦いの功績により飛騨高山藩の藩主となった。80歳を過ぎた長近は家康からあてがわれた若い女性との間に長則以来の嫡子を得て、守山在住時に使っていた幼名「五郎八」と呼んでいた。
青谷正史さんは「高山市と守山市とを結ぶきっかけになれば」と意欲を見せる。講演に参加した地元金森町の瀬戸川正作さんは「歴史に名をはせた人物が金森出身であることを誇りに思う。自治会の副地区長や近所の婦人らとのラジオ体操クラブを運営しているが、地域貢献の人材に成長していきたい」と笑顔で話した。