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Jリーガー村田和哉選手引退 チーム設立「滋賀にJリーグクラブを」

現役を引退し、滋賀県にサッカーチームをつくる村田和哉さん

現役を引退し、滋賀県にサッカーチームをつくる村田和哉さん

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 滋賀県守山市出身のサッカー選手、村田和哉さんが2月22日、Future lab(守山市吉身)で会見を開き、現役を引退してチームを設立することを発表した。

引退と会社設立を発表した記者会見の様子

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 村田選手は2006(平成18)年に野洲高校(野洲市行畑)で全国高校サッカー選手権優勝を経験し、大阪体育大学を経て2011(平成23)年セレッソ大阪に入団。2013(平成25)年から2019(平成31)年まで清水エスパルス、2019年から柏レイソル所属。2019年はアビスパ福岡、2020年はレノファ山口に期限付き移籍をしていた。通算217試合出場。2021年1月31日に柏レイソルとの契約が終了し、現役を引退した。村田さんは「自分がこれまで取り組んできた活動に何の未練もないし後悔もしていない。『最幸』すぎる10年間だった。5つのクラブを通じて村田和哉に関わっていただいた全ての方々と同じ時間を共有できたことが自分の財産だと思っている」と感謝を述べた。

 村田さんは2月16日に会社「人生最幸」を設立。滋賀県初のJリーグチームをつくることを目指す。村田さんは「清水エスパルス在籍時にそれまでは日本代表という夢を持っていたが、限界を感じて次の夢を考えたときに、滋賀県だった。なぜ自分の県にJリーグチームがないのかと悔しさを感じた」と話す。2015(平成27)年に静岡放送のアナウンサー牧野克彦さんの紹介で清原(守山市古高町)の清原大晶さんと出会った。清原さんは「村田選手の話を聞いて、この人なら可能性があるのではないかと思わせてくれた」と振り返る。

 村田さんは2016(平成28)年に「もーりー守山ふるさと大使」に任命され、毎年市内でサッカー教室を開催している。2017(平成29)年には滋賀県プロサッカー県人会を設立。村田さんは「滋賀はプロサッカー選手を多く輩出しているが、Jリーグチームがないことで、高校で県外に選手が流出してしまっている」と危惧する。村田さんは「清水時代、このクラブが最後と思っていたが、出る決意をしたのは滋賀にJクラブをつくるためにはもっと多くのクラブを見ないといけないと思ったから。いろいろな価値観、規模のチームを見ないと滋賀にいいチームをつくれない。まずはチーム名やチームカラーを公募して、クラブを知ってもらうことから始め、守山に根付いた愛されるクラブをつくり、その先にJリーグを目指したい」と意気込みを見せる。

 清原さんや清水時代からの村田さんの後援会「人生最幸」のメンバーなどで設立準備委員会を立ち上げ、オンラインで会議を重ねた。清原さんは「5年前から熱心にボランティアでサッカー教室や子どもたちに授業をしてくれて、信頼関係を築いてきた。彼がやりたいことをできる環境を整えていく」と後押しをする。

 村田さんは「清原さんには現役時代からたくさんの人に会わせてもらい、サポートしてもらっている。守山のまちおこしとチームづくりをやっていきたい」と話す。

 4月からサッカースクールを開校予定。チームは2022年度の滋賀県3部リーグ参入を目指して選手募集を始める。

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