滋賀レイクスターズ(大津市におの浜)所属で陸上競技女子棒高跳び日本記録保持者の我孫子智美選手が3月30日、滋賀県庁(大津市京町)で引退会見を開いた。
我孫子選手は2012(平成24)年日本選手権で4メートル40センチの日本記録を樹立し、ロンドンオリンピックに出場した。高校1年生の時に棒高跳びを始めた我孫子選手は18年間の競技生活に幕を下ろした。我孫子選手は「選手生活を続けることができて、幸せな18年間だった。体験できないことを体験できて、出会えない人に出会えた」と振り返った。
我孫子選手の棒高跳びとの出合いは、光泉高校(草津市野路町)陸上部に田尻隆伸監督が赴任してきたことに始まる。それまで光泉高校には棒高跳びの設備もなかったが、田尻監督の赴任と共に設置された。光泉中学陸上部で走り高跳びを専門にしていた我孫子選手は、田尻監督の勧めで高校から棒高跳びに転向。3年生だった2005(平成17)年には国体で優勝している。同志社大学に進学し、全日本インカレを4連覇。卒業後、所属先を探していた2010(平成22)年、「総合型クラブ」を目指す滋賀レイクスターズに職員選手としての所属が決まった。事務局の仕事などと競技生活を両立させ、2012年に日本記録を樹立し、ロンドンオリンピックに出場した。
我孫子選手は日本記録を樹立した時のことを「前年の国体競技中に左ひじを脱臼して、3カ月棒高跳びができなかった。オリンピックの選考会を棄権していたので、日本選手権が一発勝負だった。調子もよく、会場の雰囲気も、風も、天気も条件が全て整った舞台で飛ぶことができた。練習の時から自分の体が浮いているのを感じていた。とても気持ちよく飛べた」と振り返る。
その後、「日本記録保持者」という重圧に苦しんだという。我孫子選手は「脇腹に痛みがずっとあって、休めばよかったが、踏み切れなかった。自分を追い込みすぎていた」と話す。2016(平成28)年から滋賀レイクスターズ陸上スクールのコーチを始める。「子どもたちと楽しく走ることで、選手として結果も出さないといけないが、過程を楽しむことも必要だと気づいた」我孫子選手は2017(平成29)年には日本選手権で5度目の優勝を果たした。
2020年8月、滋賀県選手権の試合中、踏み切った後に空中で右肩を脱臼。9月に手術を受けたが、12月に引退を決めた。我孫子選手は「引退か、もうちょっと頑張れるのか、気持ちが行ったり来たりしていたが、12月の練習中に、頑張り切れていない自分に気づき、もうやり切ったと感じた。コーチや家族に伝えたら、『よくやった』と言ってもらえて、悔いなく競技生活を終わることができた」と話す。
今後は公益財団法人滋賀レイクスターズのスタッフとしてアスリートのサポートや、陸上スクール、シーズンスポーツスクール、体育遊びスクールの指導を受け持つ。公益財団法人滋賀レイクスターズ理事長の坂井信介さんは「6月には理事に就任予定。女性初の理事となる。成功したアスリートが地域クラブで大きな役割を果たしてくれる」と期待を寄せる。我孫子選手は「滋賀県には世界を目指せる選手はたくさんいるが、所属先が見つからず、諦める選手もいる。そういった選手のサポートをしたい。指導者としては、まずはスポーツが楽しいということを伝えたい。滋賀に恩返しができれば」と意気込みを見せる。
我孫子選手の引退セレモニーは4月11日、ウカルちゃんアリーナ(大津市におの浜)で開催されるBリーグ滋賀レイクスターズ対三遠ネオフェニックス戦のハーフタイムに取り行われる。